1.発祥と家名|紀貫之を祖として

浦上家発祥の地は、播磨国(現在の兵庫県南西部)である。現在のたつの市にあった「浦上庄」という荘園を本拠としたため、その土地の名を採って「浦上」を名乗った。同家に伝わる家系図によると、浦上家は大和朝廷の初期に活躍したという記紀伝承上の人物武内宿禰を遠祖とし、平安時代の歌人紀貫之の末裔にあたるとしている。一族のそうしたルーツを玉堂も強く自覚しており、彼が自身の書画に「武内大臣之孫」「紀弼」という印章を用い、長男春琴を紀一郎、次男秋琴を紀二郎と名付けたのはそのためである。

玉堂印章イメージ1

玉堂印章
「武内大臣之孫」
岡山県立美術館
浦上家伝来品
玉堂が用いた印章のひとつ。「武内宿禰の子孫」の意で、玉堂が一族のルーツを強く自覚していたことがわかる。
  • 玉堂印章イメージ2
  • 玉堂印章イメージ3

2.室町将軍も注目|文武兼備の血

もともと鎌倉幕府御家人だった浦上家は、足利尊氏方の重鎮赤松氏とともに行動して手柄を立て、室町幕府成立後に赤松氏が播磨国の守護に任命されると赤松氏の重臣となる。赤松氏を支えた浦上則宗(1429〜1502)の実力には、室町幕府将軍も注目していた。当時の幕府将軍は、則宗に地位や恩典を与え、則宗が率いる赤松氏の軍事力を幕府のために使おうとしたのである。71歳の雪舟が則宗のために渡唐天神図を描いたことが『古画備考』に載っていることからも、則宗の存在感の大きさを窺い知ることができる。浦上家は高僧も出しており、京都大徳寺を開いた臨済宗の僧宗峰妙超(大燈国師)は浦上家出身である。

浦上家関係地図

浦上家関係地図(作成 畑和良)
  • ※浦上庄および浦上一族の居城名のみ、赤文字表記にして他と区別した。
  • ※無断転載、作者・出典明記なく内容を流用することを禁止する。

3.下克上のうねり|宗景をのむ

則宗の死後、浦上家当主の座は村宗、政宗(村宗長男)へと引き継がれるが、外敵への政策の違いから政宗とその弟宗景は激しく対立するようになる。兄弟の争いに勝利したのは弟宗景側で、宗景は播磨西部・備前東部の最大勢力に成長していく。しかし、宗景の勢力伸長のかげで、現場の軍事指揮者であった宇喜多直家が影響力を増大させ、宗景は直家の動きを次第にコントロールできなくなる。天正3年(1575)、直家によって浦上家居城備前国天神山城が攻め落とされ、宗景は逃亡。戦国大名としての浦上家はここで途絶える。

中世浦上氏系図

中世浦上氏系図(作成 畑和良)
  • ※現状で最も可能性の高い繋がり・確定的な実名・通称・官途を示した。
  • ※今後の史料発掘により変更・増補される可能性がある。
  • ※無断転載、作者・出典明記なく内容を流用することを禁止する。

中世浦上氏系図 PDF


4.玉堂の家|中世浦上氏の流れを引き受ける

玉堂の祖父宗明は江戸詰の鴨方藩士で、宗明の姉於常が備中鴨方藩祖池田政言(岡山藩主池田光政の子)の側室として二代藩主政倚を産んだことで、浦上家と藩主家との間に縁戚関係が生じた。玉堂の父宗純の代からは岡山城下へ居を構えており、この浦上家が矜持を持って中世浦上氏を祖先とした。宗景の時代に歴史の表舞台から姿を消した浦上氏と玉堂の家がどのようにつながるのかはっきりとはわかっていないが、宗景の兄政宗の判物が玉堂の家に遺されたという記録(『黄薇古簡集』)があり、その判物の宛名である「浦上備後守殿」が系譜上玉堂の家の先祖とされている。
※岡山藩士や領内の寺社・領民が所持していた古文書を集めた江戸時代の資料集

玉堂父子を中心とした近世浦上家系図

玉堂父子を中心とした近世浦上家系図
  • ※龍川清『浦上玉堂―人と芸術―』(国書刊行会、1976)等を基に浦上家史編纂委員会が作成した。
  • ※玉堂祖父母の代から玉堂孫にあたる世代を記載し、直系の血筋のみ曾孫までを記した。
  • ※玉堂の父母の代、玉堂、玉堂の子にあたる世代は、わかる範囲で没年を記した。
  • ※播磨・岡山・鴨方藩池田家の流れも簡単に記した。
  • ※今後の史料発掘により変更・増補される可能性がある。

玉堂父子を中心とした近世浦上家系図 PDF

コラム|浦上家伝来品にみるルーツへの矜持

中世戦国の浦上氏を祖とする意識は、玉堂と彼の子どもたちにも引き継がれていく。長男春琴は、かつて浦上宗景が備前長船の刀鍛冶清光につくらせ所持していた刀を讃岐国の武士が所有していることを知り懇願して入手。友人の頼山陽に頼み漢詩《紀氏寶刀歌》をつくってもらう。玉堂の周囲も、玉堂の家の格が中世浦上家を引き継ぐにふさわしいと認めていたといえるだろう。

刀 銘清光

刀 銘清光
岡山県立美術館
(浦上家伝来品)
刃長64.5cm
春琴が入手した刀。「備前国 住長船孫右衛門尉藤原清光 浦上紀氏宗景為重代者抽秀気作之也 永禄五年八月吉日」とある(永禄五年=1562)。

頼山陽イメージ

頼山陽《紀氏寶刀歌》
岡山県立美術館
(浦上家伝来品)
33.1×99.8cm
春琴が宗景の刀を入手した折、頼山陽がつくった詩「紀氏寶刀歌為紀伯挙作」を菅茶山が校訂し、山陽が墨書したもの。

5.子孫の一脈|現代に息衝く

玉堂の長男春琴には男子がなかったため、春琴は一人娘の恒に弟秋琴の息子宗尚を聟養子として迎え、宗尚は鴨方藩士となって浦上家を岡山に再興する。宗尚は後に藩の大目附に任じられ、明治維新後は権大参事(現在の副知事)になる。宗尚を継いだ宗喬は、三男武七郎、四男宗次、五男英男をもうけ(長男、次男は早世)、うち宗家を継承した宗次は、日立製作所勤務を経て福岡市に合名会社日之出商会を設立。宗次の長男定司は同社を日之出水道機器株式会社と改め、現在は定司の長男紀之が同社を率いている。マンホール蓋をはじめとする鋳鉄製品の製造販売からスタートし、全国に事業を展開、現在ソリューション・カンパニーへ姿を変えようとしている同社は、2019年、創業100周年を迎える。

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日之出商会が設立された頃
1919年に日之出商会を設立した浦上宗次(向かって右から2人目)。

主な参考文献

[単行本]

  • 龍川淸『浦上玉堂─人と芸術─』(国書刊行会、1976)
  • 日之出水道機器株式会社『日之出水道60年の歩み』(日之出水道機器株式会社、1979)

[展覧会図録]

  • 福島県立博物館編『玉堂と春琴・秋琴─浦上玉堂父子の芸術─』(福島県立博物館、1994)
  • 岡山県立美術館、千葉市美術館編『浦上玉堂』(岡山県立美術館・千葉市美術館、2006)

[講演会配布資料]

  • 畑和良 「浦上家とは─中世・戦国期」(公開講座「浦上玉堂の家」岡山県立美術館、2013年10月5日開催)
  • 畑和良 「浦上家の歴史 中世を中心に」(吉増剛造映像作品gozoCiné「浦上玉堂の魂の手ノ血が点々と」
    完成記念上映会『ゆかりの地、会津で観て聴く浦上玉堂の世界』はじまりの美術館/福島県猪苗代町、2015年1月25日)

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